あなたは腰の痛みで

このようなつらい日々

過ごしていませんか?

 


当院での改善法

骨盤のズレを調整

まずはAKS療法を使った特殊な方法による背骨や骨盤のズレを調整し、脊柱管を圧迫している直接的な原因を取り除きます。

ただこれだけでは一時的に痛みが良くなったとしても、根本的な解決にはなっていないんです。

筋膜整体

ではなぜ、身体の歪みを改善するだけでは良くならないのか?

当院ではこれまで数多くの脊柱管狭窄症を施術してきたなかで、日常生活のバランスが痛みとしびれに大きく関係していることを発見することが出来ました。

 

そこで当院では「骨格」「筋肉」「神経」を調整する「脊柱管狭窄症改善プログラム」を完成させました。

その結果、何年も脊柱管狭窄症に悩まされ、ほとんど歩くことが出来なかった方が驚かれるほど改善し、再発まで防ぐことが出来ています。

 

もしあなたが「脊柱管狭窄症」で

お悩みでしたら、

一人で悩まず当院にご相談ください。

O様(70代女性 西宮市)

整体院 明価にご来院いただく前は、どんなお悩みがありましたか?

両足の痺れと痛みで、歩く時は、膝にはサポーターをしていました。

杖をつかないとふらつき、10分も歩けない状態でした。

整体院 明価でのカウンセリング・施術はいかがでしたか?
お目にかかった時は若い先生だったので、大丈夫かなと思いました。

でも、体の図を描いて詳しく説明してくださったので、ちょっといいかもなと思いました。

その辛かった痛みは、今どうでしょうか? 

膝はいつも「痛い」と言っていたが、家族が「あんまり痛いって言わなくなったね」って言ってくれました。

 

また、今まで買い物にも5分くらいしか歩けなかったのですが、この前病院に行った帰り、歩いて買い物に挑戦したら歩けて嬉しかったです。

※個人の感想であり、成果や成功を保証するものではありません。


S様(60代男性 西宮市)

整体院 明価にご来院いただく前はどんなお悩みがありましたか?

 腰痛・足の痺れ、特に左足が痺れていて、薬を飲んでも、一時的なのもので、足の痛みで夜中に目が覚めてたりしていた。

その辛い症状に対し、今までどういった事をされてきましたか?

20年ほど前から知人の紹介で色々な療法の整骨院や整体院・病院などに行って、少しきつめの薬を飲んだりもしていた。

同じようにお悩みの方に向けて、メッセージをお願いします。

「痛いから体を休めてゆっくりしよう」ではなく、積極的に体を動かして改善方法を探すのがいい。

 

※個人の感想であり、成果や成功を保証するものではありません。

N様(80代女性 尼崎市)

整体院 明価にご来院いただく前は、どんなお悩みがありましたか?

脊柱管狭窄症にて十数年両膝・両足首が痛み痺れ睡眠中もズキズキして起き上がりも困難でした。

整体院 明価でのカウンセリング・施術はいかがでしたか?

とにかくよくお話を聞いてくださり私の痛みに対してしっかりご指導と日常生活の疑問にも答えをいただきアドバイスもいただきました。

その辛かった痛みは、今どうでしょうか?

今まで外出はいつもタクシー。今は、電車もバスにも乗り、世界が広がりました。

 

※個人の感想であり、成果や成功を保証するものではありません。

 

H様(女性 西宮市)


 

 

 



 

 

 

 


痛みや不調の一部を緩和するのではなく、

痛みの本当の原因を

根本から追求していきます。

 

変化のない施術や結局繰り返してしまう

ような施術を受け続けているのであれば、

一度、当院にご相談ください。

 

同じ痛みを繰り返さないよう、

根本的におカラダを改善しましょう。

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 


 

 

 

 

 

 


プロフィール

【プロフィール】

高橋 健太(タカハシ ケンタ)

1994年8月30日生まれ

兵庫県西宮市出身 兵庫県西宮市在住

独身

性格 良くも悪くも真面目・涙もろい

モットー:「自分が変われば世界が変わる」

資格:理学療法士・AKS療法士・ネイティブウォーキング協会認定インストラクター・空手初段

好きな食べ物:寿司・焼肉・エビフライ

好きなもの:花火・水族館・映画

好きな本 :永遠の0(百田尚樹)

好きな歌手:FUNKY MONKEY BABYS・あいみょん・ケツメイシ

好きな映画:フォレスト・ガンプ 名探偵コナンシリーズ

 

【幼少時代】

思い返すと、私が医療を志したきっかけはドラマで目にした救急救命でした。私が一番記憶にあるのは、ドラマのコード・ブルーです。困った方を助けるその姿は、ヒーローそのもの。様々な困った人の期待に応える姿は憧れでした。

 

しかしながら、小学・中学生の私にできることといえば、絆創膏やテーピングを持ち歩くことぐらいで、テーピングも巻けない、怪我の知識もなく、結局は誰のヒーローにもなれなかったと思います。少しでも、自分の必要性をみんなに感じて欲しい、誰かに認められたいという想いが先行し、人間性やスキルでなく、小手先だけの手段を選んでいたのかもしれません。将来は、自分の力で誰かを助けられる知識や技術をつけたいと、医療の道を選び始めたのはそれがきっかけだと思います。

 

高校卒業間近の進路を決める時期に学力的に医者になれないと悟った私は、悩んでおりました。医療職と漠然と決めていただけで具体的な職業を知らなかったのです。そんな時に廊下で出会った担任の先生から「ケンちゃん、理学療法士ってあるで!」と言われたが、私の人生を決めました。理学療法士という職業も初耳で、リハビリ職というだけの情報だけで大学を受験しました。

 

大学で学ぶうちに理学療法士には、整形外科、脳神経、呼吸器、小児など様々な領域があることを知りました。そして、最終学年最後の臨床実習で、私は整形外科のクリニックに行きました。実習の現場では、腰が痛くて歩けない方、肩が上がらず悩んでいる方など様々な悩みや症状に触れました。学生の私は悪戦苦闘しながら日々を過ごしておりました。そんな中、私の教育係だった先生は、患者さんからも人気があり、様々な知識や技術を駆使しながら、患者さんを笑顔にしていきます。「ありがとう」と言われている先生の姿はとてもかっこよくて、私も先生のようなかっこいい理学療法士になろうと整形外科の道に進むことを決めました。

 

【整形外科クリニック時代】

希望通り整形外科クリニックに就職できましたが、現実は甘くはなく、絶望と挫折の連続でした。患者さんの顔と名前が覚えられず、すぐに声をかけられず。当然、症状も覚えることも、前回話した内容も忘れた状態で、相手が何に悩んでいるのかもわからず、天気の話しかできず、リハビリ前にちらっと見たカルテの内容とその場の会話だけでリハビリを行う日々でした。会話も上手くなく就職したてで治療技術も全くなかった私は、リハビリ拒否を受けることも多かったです。自業自得ながら自分自身もリハビリをすることに恐怖を感じるようになりました。上司や先輩もそのことを問題として話題にしていたと後から聞かされました。

治療技術など医療職である前に人として人間関係を作ることにつまずいていたのです。そこで初めて、自分自身が自分の見え方ばかりを気にして相手のことを考えない生き方をしていたことに気づくことができました。しかし、気づいたところで一朝一夕でよくならなかったのはいうまでもなく5年以上たった今でも甘い自分が出てくることに注意する日々です。

その後、治療技術を磨いた私は、自分のペースで施術を提供していき、多くの方に広めたいと思い整体院 明価(めいか)を開業しました。その中で、骨格調整や筋・筋膜の施術に加えて、確立した日常生活指導のプログラムを取り入れることで、より質の良い根本改善を提供することができるようになったのです。

 

【院長の想い】

日常生活指導が大切だという医療機関や施術院が多い一方、お客さんに聞いた限りでは、しっかりとした土台のある日常生活指導をしている施設はとても少ないです。

結果として、根本的に改善しない患者さんと以前の私のように根本的に改善できない医療機関や施術院が数多くあるのではと考えた私は、私自身が最後の砦として、多くの方の助けになれる、喜んでもらえる、人の期待に応えられる方法にたどり着きました。だからこそ様々な施術院の中から私の整体院に来院された方には「ここを選んで良かった」と言ってもらえるように最善を尽くしたいです。